「好きなものを応援しているだけ」のはずなのに、気がつけば、自分の時間もお金も人生までも、その「物語」に差し出している。
朝井リョウの『イン・ザ・メガチャーチ』は、そんな現代の「推し活」とファンダム経済を題材にした長編小説だ。2025年9月刊行、448ページ。世代も立場も異なる3人の視点を交互に描きながら、「人はいったい何によって動かされるのか」というところまで話を広げていく。
目次は大きく、久保田慶彦、武藤澄香、隅川絢子という3人の名前を冠した章が入れ替わっていく構成になっている。47歳のレコード会社社員・久保田は「仕掛ける側」、19歳の大学生・澄香は「のめり込む側」、35歳の契約社員・絢子は「かつてのめり込んでいた側」。この三つの視点が少しずつ近づき、同じ社会をまったく違う角度から見せていく。
久保田は、離婚して娘とも離れて暮らし、会社でもぱっとしない中年男性。ところが、かつての経験を買われ、アイドルグループのファンダムを作り上げるプロジェクトに関わることになる。
そこで登場するのが、「物語」の力だ。
単純にアイドルを売るのではなく、ファンが「自分はこの人を応援しなければならない」と思うような物語を設計する。どんな人が熱狂しやすいのかを分析し、適切なタイミングで情報を与えれば、ファン自身が意味を見つけ、勝手に物語を膨らませていく。
作中には「神がいないこの国で人を操るには、“物語”を使うのが一番いいんですよ」という印象的な言葉も出てくる。
そして怖いのは、これがアイドルだけの話ではないことだと思う。
澄香は大学生活の中で自分の居場所を見つけられず、ある新人アイドルに強く惹かれていく。自分と共通点のある相手を見つけたことで、単なる「好き」が次第に生活の中心になっていく。一方、絢子は応援していた俳優の突然の死をきっかけに、その死を説明してくれる別の物語へと引き寄せられていく。
つまり三人とも、立場は違っても「物語」を必要としている。
仕事、推し、仲間、社会問題、陰謀論。対象が何であれ、人間は「自分がここにいる理由」を与えてくれるものに惹かれてしまう。そして、そこに仲間が加わるとさらに強力になる。「自分だけがそう思っている」のではなく、「みんなもそう思っている」と確認できるからだ。
この小説を読んでいて面白いのは、推し活を単純に「悪いもの」として描いていないところだと思う。何かに夢中になることには、当然楽しさがあるし、そこで人とつながることもできる。問題は、没頭するほど周囲が見えなくなり、その世界の中でしか物事を判断できなくなっていくことだ。
しかも、「自分は騙されている」と思っている人だけが危ないわけでもない。
むしろ「自分はちゃんと自分で考えている」と思っている人ほど、自分がどんな情報を受け取り、どんな物語を信じるようになったのかを意識するのは難しい。
タイトルの「メガチャーチ」は、巨大教会という意味だが、この作品ではファンダムのような巨大な「界隈」を思わせる言葉になっている。そこでは神の代わりにアイドルや俳優がいて、教義の代わりに「推しを応援する理由」があり、信者同士が互いの信仰を強化していく。
読んでいて、推し活をしていない人のほうが安全なのかというと、たぶんそうでもない。
人間は何かしらの物語の中で生きている。仕事でも、政治でも、恋愛でも、家族でも、「自分はこういう人間だ」「これは正しい」「これには意味がある」という物語なしには、なかなか生きていけない。
だからこの小説の怖さは、「推し活は危険ですよ」という話ではなく、「自分だって、すでに何かのメガチャーチの中にいるのではないか」と思わされるところにある。
朝井リョウは、現代人が何を信じ、何にお金を使い、何によって動かされているのかを、アイドルという身近な題材からかなり嫌なところまで掘り下げている。
読み終わったあと、自分が普段「自分の意思で選んでいる」と思っているものまで、少し疑って見たくなる小説だった。

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