『八神くんの家庭の事情』(楠桂)の内容とは?

「自分の母親が、同級生にしか見えない」――この設定だけで、もう普通の学園ラブコメではない。

楠桂の『八神くんの家庭の事情』は、1986年から1990年まで『少年サンデー増刊号』で連載されたラブコメ漫画。単行本は全7巻で、現在も小学館から電子版が刊行されている。主人公は男子高校生の八神裕司。そして最大の問題は、母親の八神野美が、どう見ても高校生くらいにしか見えないほど若くてかわいいことだ。小学館自身も本作を「ティーンエイジャーにしか見えない母親」を持つ裕司の苦悩を描いた青春コメディとして紹介している。

しかも裕司は、その母親に対して「母親だから好きなのか、それとも一人の女性として好きなのか」という、とんでもなくややこしい感情を抱えている。つまり、この漫画の「家庭の事情」は、単なる家族の秘密ではない。主人公自身の恋愛感情そのものが、家庭によってぐちゃぐちゃにされているのである。

物語は基本的にはギャグ漫画として進んでいく。母親の野美は天然気味で、夫の陽司とは非常に仲がいい。一方、裕司はそんな両親の姿を見せつけられては悶絶する。さらに学校では担任教師まで野美に惚れてしまう。

ここまで来ると、「息子が母親を心配する家庭漫画」どころか、「母親をめぐって息子と教師が張り合う」という、かなり無茶苦茶な構図になる。

そして裕司の前に現れるのが、五十里真幸という少女だ。裕司に好意を寄せる彼女との関係によって、物語は単なる「マザコン少年のドタバタ」から、ちゃんとした青春ラブコメへと動いていく。

このあたりが『八神くんの家庭の事情』の面白いところだと思う。

最初は「母親が若すぎる」という一発ネタに見える。しかし、そこから「じゃあ自分は誰を好きなのか」という、意外と真面目な問題へ話が広がっていく。

作品を象徴するエピソードのタイトルにも、その雰囲気が出ている。OVA化された際には「この息子にこの母」「恋におちて」「恋の狩人・だけどOL」というタイトルが使われている。

「この息子にこの母」。

もうタイトルからして、この親子の関係が普通ではないことが分かる。

そして「恋におちて」。

結局、この漫画で描かれているのは、かなり変則的ではあるものの、「人を好きになる」という極めて普通の感情なのだ。

ただし、その相手が母親そっくりに見えるというだけで、人生が猛烈にややこしくなる。

さらに面白いのは、野美本人には、息子が自分に対してどんな葛藤を抱えているのか、ほとんど理解できていないところだ。本人は夫の陽司を愛していて、家庭もいたって幸せ。その無邪気さが、かえって裕司を苦しめる。

この「本人だけが何も分かっていない」という構造が、楠桂のギャグを成立させている。

一方で、裕司には五十里という普通の恋愛対象が現れる。彼女との関係が進んでいくにつれて、裕司は少しずつ「母親への感情」と「恋愛」を区別していくことになる。

だから、この作品を今読むと、単なる「マザコンギャグ漫画」として片づけるのは少しもったいない。

むしろ、「子供が親から精神的に自立していく話」として読むこともできる。

母親があまりにも魅力的だからこそ、そこから離れられない。

親が完璧だからこそ、子供は自分の人生を始めにくい。

裕司の場合、その問題を極端なギャグにしてしまったのが『八神くんの家庭の事情』なのだと思う。

そして何より、この漫画は1980年代の少年漫画らしい勢いがすごい。

現在の感覚からすると「いや、その設定で少年誌を走り切るのかよ」と思うような題材なのに、楠桂はそれを躊躇なく恋愛、ギャグ、家族、学校生活へと展開していく。連載は1986年から1990年まで続き、漫画だけでなく1990年にはOVA化、1994年にはテレビドラマ化もされた。

ただ、ドラマ版などの後世の映像化作品よりも、まず原作漫画を読んでほしい作品だと思う。

「母親が若すぎる」という一行だけで、ここまで長編漫画を成立させる。

しかも、その馬鹿馬鹿しい設定の奥に、恋愛とは何なのか、親離れとは何なのかというテーマまで潜ませている。

『八神くんの家庭の事情』は、設定だけ聞けば「そんな漫画ある?」と思う。

でも読み始めると、「なるほど、だから八神くんはこんなに大変なのか」と妙に納得してしまう。

そして最後には、たぶんこう思う。

「こんな家庭の事情、絶対に嫌だ。」

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