村上春樹のデビュー作。
1970年の夏、海辺の街に帰省した「僕」は、友人の「鼠」と「ジェイズ・バー」でビールを飲み、ある女の子と出会う。
……と書いてしまうと、なんだかたいしたことのない話に見える。
実際、たいした事件は起こらない。
「僕」と「鼠」がビールを飲んだり、映画や音楽の話をしたり、女の子と付き合ったりする。そんな何気ない夏の日々が、淡々と描かれていく。
ところが、この小説には妙な寂しさがある。
「この話は一九七〇年の八月八日に始まり、十八日後、つまり同じ年の八月二十六日に終る。」
最初から終わりが決められている。
夏休みだから当然いつか終わるのだが、読んでいると、まるで青春そのものに期限が設定されているように感じる。
「僕」と「鼠」は、どこか社会に馴染めない。特に「鼠」は金持ちの家に生まれながら、その境遇を嫌い、小説を書こうとしている。
そして「僕」の前にも、小指のない女の子が現れる。
二人の出会いは恋愛小説らしい劇的なものではない。むしろ、偶然に出会って、少し親しくなって、そして夏が終わる。
その「何も起こらなさ」が、かえって印象に残る。
目次を見ても、普通の小説のように「第一章」「第二章」と並んでいるわけではない。
作品の最後には「ハートフィールド、再び……」という、ちょっと変わった題のあとがきまで付いている。
そして、この小説で印象に残るのが「鼠」という人物だ。
金持ちなのに金持ちが嫌いで、小説を書こうとしているのに、たいして本を読まない。
なんとも矛盾している。
でも、人間なんてそんなものなのだろう。
自分の置かれた場所が気に入らない。何か別のものになりたい。でも、何になりたいのかはよくわからない。
そんな若者の曖昧さが、「僕」と「鼠」の会話の中に漂っている。
そして読み終わる頃には、物語そのものよりも、1970年の夏の空気が残る。
ビールの味、バー、海辺の街、レコード、女の子、友人との会話。
それらは特別な出来事ではない。
だからこそ、後から振り返ると「あの頃はもう戻ってこない」という感覚だけが強くなる。
講談社の紹介にも「僕たちの夢は、もう戻りはしない――」という言葉がある。
青春というのは、何か大きなことを成し遂げた時代ではなく、後になって「あれはもう戻ってこない時間だった」と気づくものなのかもしれない。
『風の歌を聴け』は、そんな失われていくものを、あえて大げさに語らずに描いた小説なのだと思う。
村上春樹をまだ読んだことがないなら、最初の一冊として読んでみるのもいい。
大きな物語を期待すると「何の話なんだ?」となるかもしれない。
でも、何もない夏の日に、なぜか少し寂しくなるような小説が好きなら、きっとこの乾いた文章の感じが好きになると思う。

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