「月に一度、わたしの夫は恋人に会いにいく。」
いきなりこんな一文から始まったら、「どういうこと?」となる。
凪良ゆうの『汝、星のごとく』は、瀬戸内海の小さな島で出会った男女が、17歳から32歳までの約15年間をかけて、愛することと、自分の人生を生きることについて考えていく物語だ。2023年本屋大賞を受賞した作品で、後に続編『星を編む』も刊行されている。
物語はプロローグ、第一章「潮騒」などを経て、二人の人生を交互の視点から追っていく。冒頭と終盤が呼応する構成になっているため、最初の一文の意味が最後にはまったく違って見えてくる。
主人公は井上暁海と青埜櫂。
17歳の暁海は島で母親と暮らしているが、父親は浮気相手の女性のもとへ行ってしまい、家に帰ってこない。母親も夫への執着や怒りを抱え、娘である暁海にその問題を背負わせてしまう。
一方、櫂は母親の恋愛に振り回されて京都から島へやってきた少年。母親が島で付き合っている男性を追って引っ越してきたため、本人にとっては望んだ転校ではない。
家庭に問題を抱え、「親の人生に巻き込まれている」という共通点を持つ二人は、島の中でひっそりと会うようになる。
島という舞台も重要だ。
目の前には広い海があるのに、そこに暮らす人間関係は狭い。誰と誰が付き合っている、誰の家で何が起きた、といった話がすぐに広まってしまう。噂話が娯楽になってしまうような閉じたコミュニティの中で、暁海と櫂は周囲の目を気にしながら恋をする。
二人は「島を出よう」と約束する。
しかし、高校を卒業すると人生は別々の方向へ進んでいく。
櫂は漫画原作者になる夢を追って東京へ。暁海は島に残り、母親を支えながら働く。
ここから、この作品は単純な青春恋愛小説ではなくなっていく。
櫂は漫画原作者として成功し、暁海も刺繍の才能を生かして仕事を得ていく。二人とも少しずつ自分の人生を作っていくのだが、それは同時に二人の距離を広げてもいく。
遠距離恋愛、仕事、親、経済的な問題、周囲の人間関係。
「好きだから一緒にいられる」というほど、人生は簡単ではない。
そして、この小説では二人の母親がかなり重要な存在になっている。
暁海も櫂も、親から完全に自由になれない。
特に櫂は、母親の恋愛や生活を支える側に回ってしまう。自分の人生を生きたいと思いながらも、母親を放っておくことができない。
暁海も同じだ。
「自分の人生を生きたい」という気持ちと、「母親を見捨てることはできない」という気持ちがぶつかり続ける。
だからこの作品の恋愛は、二人だけの問題ではない。
親の人生を背負わされた子どもが、自分自身の人生を取り戻せるのか。
そこが大きなテーマになっている。
そして終盤、櫂は病気になり、二人の人生は再び大きく動き始める。
櫂が亡くなったあと、暁海は高校時代の教師だった北原先生と結婚する。
ここで冒頭の「月に一度、わたしの夫は恋人に会いにいく。」につながってくる。
北原先生には、櫂とは別の意味で忘れられない恋人がいる。そして暁海もまた、櫂を完全に過去の存在にはできない。
つまり、この夫婦は「お互いに相手だけを愛している」という一般的な夫婦像ではない。
それでも二人は一緒に暮らしていく。
この設定だけを見ると、「不倫を肯定する話なのか」と思ってしまう。しかし、読んでいくとそう単純な話ではないことが分かってくる。
この作品が描いているのは、世間から見た「普通の幸せ」と、本人たちにとっての幸せは必ずしも一致しないということだと思う。
作中には「まともな人間なんてものは幻想だ。俺たちは自らを生きるしかない」という印象的な言葉がある。
「普通はこうするべき」
「親ならこうあるべき」
「夫婦ならこうあるべき」
「恋人ならこうあるべき」
そういう外側から与えられた正解に従っているうちに、自分自身の人生がなくなってしまうことがある。
暁海も櫂も、まさにその問題に苦しめられる。
だから二人の恋愛を見ていると、「結局、二人は結ばれるのか」という問いよりも、「この二人は自分の人生を自分で選べるようになるのか」という問いのほうが重要に思えてくる。
そして、読み終わってからプロローグを読み返すと印象が変わる。
最初は「夫の不倫?」としか思えなかった一文が、最後には「人間は一人の相手だけを愛することでしか幸せになれないのか」という問いに見えてくる。
恋愛小説なのに、最後に残るのは恋愛そのものよりも「自分の人生を誰のために生きるのか」という問題だった。
親のために生きるのか。
恋人のために生きるのか。
世間の目のために生きるのか。
それとも、自分自身のために生きるのか。
『汝、星のごとく』は、二人の恋が成就するかどうかだけを描いた物語ではない。
むしろ、愛しているからこそ離れなければならないこと、愛しているからこそ相手を縛ってはいけないこと、そして誰かを愛しながらでも自分の人生を生きなければならないことを描いている。
瀬戸内の島という、どこまでも広い海が見える場所で、登場人物たちは「世間」という狭い世界に縛られている。
その対比が、この小説ではずっと印象に残る。
「自由に生きたい」と思うことは簡単だけれど、実際には親や家族、恋人、仕事、過去の自分まで背負っている。
だからこそ、最後まで読んだときに残るのは、単純なハッピーエンドでもバッドエンドでもない。
人それぞれが、不完全なまま自分の人生を引き受けていく。
その姿を「星」のように遠くから眺めるような小説だった。

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