『1973年のピンボール』(村上春樹)の内容とは?

『風の歌を聴け』の続編にあたる、村上春樹の初期作品。

前作では1970年の夏が描かれたが、今度の舞台は1973年。〈僕〉は東京で翻訳事務所を経営し、〈鼠〉は故郷の街に残っている。

この小説は全25章。〈僕〉の物語と〈鼠〉の物語が交互に描かれていく。二人は同じ時間を生きているのに、その物語はほとんど交わらない。

〈僕〉の側には、双子の姉妹、翻訳事務所、そしてピンボールがある。

〈鼠〉の側には、故郷の街、酒、女、そして自分自身から逃げ切れないような閉塞感がある。

一見すると、何がそんなに重要なのかわからない話なのだが、読み進めているうちに、これは「青春が終わっていく話」なのではないかと思えてくる。

講談社の紹介にも「僕たちの終章はピンボールで始まった」とある。雨の匂い、古いスタン・ゲッツ、ピンボール。そして「さようなら、3フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。」という別れの言葉。

何かを失った人間が、それを大げさに嘆くわけでもなく、ただ静かにそこから離れていく。

そこが、この小説の妙に寂しいところだ。

特に印象に残ったのが、倉庫に置かれた古いピンボール・マシンとの再会である。

ピンボールは単なるゲームではない。〈僕〉にとって、過去の時間や、もう戻ることのできない何かを象徴しているように見える。

そして最後には、〈僕〉がそのピンボール・マシンと別れる。

「電灯のスイッチを切って扉を後ろ手に閉めるまでの長い時間、僕は後ろを振り向かなかった。」

この一文が、作品全体を象徴しているように思えた。

振り返れば、そこには過去がある。

でも、いつまでも過去を見ているわけにもいかない。

『1973年のピンボール』は、青春の真っ只中を描いた小説というより、青春が終わったことに気づき始めた人間の小説なのだと思う。

『風の歌を聴け』が「夏の記憶」なら、こちらは「その記憶から離れていくための物語」。

そして、何かを失ったとき、人は必ずしも大声で悲しむわけではない。

古いレコードを聴き、酒を飲み、ピンボールを打ち、そして最後には静かに扉を閉める。

村上春樹の小説が好きな人なら、この「何でもないことの中に、取り返せない時間が沈んでいる」感じに、きっと引き込まれると思う。

過去を振り返らずに扉を閉める。その後ろに、1973年の夏が残っている。

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