『少年カフカ』は、タイトルだけ見ると『海辺のカフカ』の外伝か解説本のように思えるが、実際にはかなり変わった本だ。小説の続編でも、単なるメイキング本でもない。
『海辺のカフカ』が発売されたあと、村上春樹のもとには読者から大量のメールが届いた。その質問や感想に、村上春樹自身が答えていく。その数、なんと1220通。『少年カフカ』は、そのメールのやり取りを中心に、「編集長から」「ドキュメント『海辺のカフカ』公式ホームページと単行本発売までの全記録」「こんなメールがありました」「Author’s Voice」「特別インタビュー 村上春樹、『海辺のカフカ』について語る」「読者-村上春樹」などで構成されている。495ページもあるので、ちょっとしたQ&A本の分量ではない。
そして面白いのは、読者がかなり遠慮なく聞いていることだ。
「カフカ少年の父親は本当にジョニー・ウォーカーなのか」
「佐伯さんはカフカの母親なのか」
「カラスと呼ばれる少年はいったい何なのか」
「ナカタさんとカフカはどういう関係なのか」
「なぜ最後にああいう終わり方になるのか」
といった、『海辺のカフカ』を読んだ人なら当然気になるところを、村上春樹本人に直接ぶつけている。
しかも、作者だからすべての答えを持っているわけではない。
ここがこの本の一番面白いところだと思う。
『海辺のカフカ』には、15歳の少年カフカの家出と、猫と話す老人ナカタさんの旅が並行して描かれる。カフカは四国の甲村記念図書館にたどり着き、佐伯さんや大島さんと出会う。一方のナカタさんは星野青年と行動をともにし、「入口の石」をめぐる奇妙な旅へ進んでいく。二人は物語の構造上深く結びついているのに、直接顔を合わせることはない。
ところが読者が「つまり、こういうことですよね?」と作者に確認すると、村上春樹は意外とあっさり答えを固定しない。
これは作者が謎を解けないのではなく、作品の中に最初から「読者が意味を作る余地」を残しているからなのだろう。
特に『海辺のカフカ』の結末は、「父親殺し」「母との関係」「佐伯さんは本当の母なのか」「異界とは何なのか」といった謎を全部説明して終わるわけではない。カフカは森の向こうの世界から戻り、東京へ帰る決意をする。物語としては一応、少年が旅を終えて現実へ戻るという形になっている。
しかし、読者が欲しがる「確信」は与えられない。
佐伯さんが本当に母親なのか。
ジョニー・ウォーカーとカフカの父親は本当に同一人物なのか。
カフカが「父を殺し、母と交わる」という予言を本当に成就したのか。
このあたりは、現実の事件のように証拠を並べて確定できるものではない。
だから『少年カフカ』を読んでいると、ある意味で『海辺のカフカ』をもう一度読まされているような気分になる。読者が「答え」を求める。作者が答える。すると、その答えによってまた別の疑問が出てくる。
そして最後には、作品の謎そのものよりも、「小説の意味を決めるのは作者なのか、読者なのか」という問題が残る。
個人的には、ここが『少年カフカ』の一番大きな収穫だと思う。
目次の最後は「メールタイトル総覧」「ホームページ閉鎖のご挨拶」「編集後記」。つまり、物語が大団円を迎える本ではなく、読者と作者が大量のメールをやり取りした一つの巨大な読書イベントが、静かに店じまいしていく本なのだ。
『海辺のカフカ』を読んで「結局、あれは何だったんだ?」と思った人には、かなり面白い本だと思う。
なぜなら、その疑問を村上春樹本人に聞いてみても、すべてが解決するわけではないからだ。
むしろ、「作者に聞いても確信できない」というところまで含めて、『海辺のカフカ』なのだと分かってくる。
小説を読み終えたあとに残る謎を、作者への質問という形でもう一度掘り返していく本。
そう考えると『少年カフカ』は、『海辺のカフカ』の解説書というより、「あの小説を読んでしまった人たちの、その後」を記録した本なのかもしれない。

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