『ハリー・ポッターと賢者の石』は、魔法使いの少年が冒険する話であると同時に、「自分が何者なのか」を知らなかった少年が、自分の居場所を見つけていく話でもある。しかも読み終わってから振り返ると、最初から最後までかなり周到に仕掛けられている。
物語は「生き残った男の子」から始まる。両親を亡くしたハリーは、親戚のダーズリー一家に引き取られているものの、そこでは家族というより邪魔者のように扱われている。ところが11歳の誕生日を境に、ハリーが実は魔法使いであり、両親も魔法使いだったこと、そして赤ん坊のころにヴォルデモートの襲撃を受けながら唯一生き残ったことで有名になっていたことを知る。
「鍵の番人」「ダイアゴン横丁」「9と3/4番線からの旅」と章が進むにつれて、ハリーの世界は一気に広がっていく。ホグワーツに入学し、ロンやハーマイオニーと出会い、組分け帽子によって寮に分けられる。魔法薬、飛行術、クィディッチなど、いかにも子供が夢中になりそうな学校生活が描かれる一方で、学校の地下には「賢者の石」という秘宝が隠されていることが分かってくる。目次を見るだけでも、「真夜中の決闘」「ハロウィーン」「クィディッチ」「みぞの鏡」「ニコラス・フラメル」「禁じられた森」「仕掛けられた罠」と、冒険小説として非常に分かりやすい構成になっている。
面白いのは、ハリーたちが「誰が賢者の石を狙っているのか」を探しているうちに、読者まで自然にスネイプを怪しいと思わされるところだ。実際、スネイプは嫌味な教師で、ハリーにも露骨に厳しい。ところが結末で明かされる真犯人はクィレル先生。しかもその背後には、復活を狙うヴォルデモートがいる。
ここで「結末の確信」が生まれる。賢者の石を最後に手に入れられたのは、石を「使いたい」のではなく、ただ「見つけたい」と願ったハリーだった。みぞの鏡(「Mirror of Erised」の「Erised」を逆から読むと「desire(欲望)」。日本語訳では「のぞみ」を逆から読み「みぞの」と言葉遊びで名付けられた)は、人間が最も強く望んでいるものを映す鏡だが、知識や真実を与えるものではない。
この仕掛けが、単なる宝探しで終わらない。ハリーは両親を見たい。ロンは兄たちに負けない自分を見たい。つまり、魔法の世界に来ても人間の欲望そのものは変わらない。そしてダンブルドアの「夢ばかり見て、現実を忘れてはいけない」という忠告が、物語全体の結末にもつながっている。
最後の「二つの顔をもつ男」で、ハリーはクィレルと対決し、賢者の石を守ることに成功する。ところがハリー自身は、石を手に入れて永遠の命を得ようとはしない。むしろ、自分のためではなく、奪われないようにするために手にしたからこそ石を得ることができた。
そしてダンブルドアによって、ハリーの父親が残した透明マントのことも明かされる。透明マント、みぞの鏡、賢者の石といった小道具が、単なる魔法アイテムではなく、それぞれ「欲望」「家族」「死」「生き方」というテーマに結びついている。
もちろん、後のシリーズと比べれば、この一作はかなり素朴だ。善と悪の構図も分かりやすく、ホグワーツは危険な場所なのに、子供を普通に夜中の冒険へ送り出してしまう(笑)。それでも、この「魔法学校に入学した少年が、友達と一緒に学校の秘密を探る」という設定だけで最後まで読ませてしまう力はすごい。
そして何より強いのは、最初は「自分は誰なのか」すら知らなかったハリーが、最後には自分で選択するところだ。両親の子供であることや、ヴォルデモートに傷をつけられた少年であること以上に、「自分はどうするのか」が重要になる。
だから『賢者の石』の結末は、単に悪者を倒して終わる物語ではない。ハリーは魔法界で特別な存在になったのではなく、初めて自分の意思でそこに居場所を作ったのである。
そして、この一巻だけでも十分に完結しているように見えるのに、「ヴォルデモートはまだ死んでいない」という確信だけが残される。ここから何が始まるのか。その予感を残して終わるからこそ、次の『秘密の部屋』を読みたくなる。結局、このシリーズの入口としては恐ろしくよくできた一冊なのだ。

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