『君たちはどう生きるか』は、単純な人生訓の本ではない。むしろ、自分が社会の中で何者なのかを、少年が一つずつ発見していく物語である。
主人公は旧制中学二年生の本田潤一。叔父から「コペル君」と呼ばれている。コペルという名前は、地動説を唱えたコペルニクスに由来する。自分を中心に世界を見るのではなく、世界の中で自分がどこにいるのかを考える、という意味である。
物語は「へんな経験」から始まる。デパートの屋上から街を見下ろしたコペル君は、人間が無数に行き交う様子を見て、人間も分子のようなものではないかと考える。自分を中心に世界を眺めていた少年が、自分も巨大な社会の一部分にすぎないことに気づくのである。
その後、「勇ましき友」では友人との関係と勇気、「ニュートンの林檎と粉ミルク」では人間同士の結びつき、「貧しき友」では貧困と社会について考えていく。目次だけ見ても、「ものの見方について」「真実の経験について」「人間の結びつきについて」「人間であるからには」と、各章で考えるべき問題がかなり露骨に提示されている。
特に印象に残るのが、貧しい浦川君をめぐる話である。浦川は家業の豆腐屋を手伝いながら学校に通っている。コペル君は彼を友人として見る一方、自分との生活環境の違いも意識する。ここで出てくるのが、物を作る人と、それを消費するだけの人という問題である。
つまり、自分が便利な生活を送れているのは、自分以外の誰かが働いているからである。商品を買って使うだけでは見えにくいが、その背後には必ず生産する人がいる。この「人間の結びつき」を考えることが、本書の重要な部分になっている。
「ナポレオンと四人の少年」では、偉大な人間とは何なのかを考える。ナポレオンは歴史上の英雄として知られる人物だが、単に有名で強かったから偉大なのか。ここでも、社会から与えられた評価をそのまま受け入れるのではなく、自分自身で考えることが求められる。
そして物語の山場が「雪の日の出来事」である。
コペル君たちは雪の日、友人が危険な状況に置かれた場面に直面する。そこで彼らは、友情や勇気について、頭で考えるだけでは済まない経験をする。しかしコペル君は、約束したことを実行できず、友人を裏切ったように感じてしまう。
ここから「石段の思い出」へ進む。人間は間違える。問題は、間違いを犯さない人間になることではなく、その過ちをどう受け止め、その後どう生きるかである。
叔父さんのノートには、人間の悩みや過ちについて考えた末に、「人間であるからには」という問題が出てくる。完全な人間などいない。だからこそ、自分の弱さや失敗から逃げずに考え続ける必要がある。
そして「凱旋」。コペル君は、自分の過ちを乗り越える方向へ進む。ここで重要なのは、何か大きなことを成し遂げて英雄になるという話ではない。自分が間違ったとき、それを認め、自分で決めたことを実行する。その小さな一歩こそが、人間として生きることにつながっている。
終盤の「水仙の芽とガンダーラの仏像」も面白い。ガンダーラは現在のパキスタンやアフガニスタン周辺にあった古代文化圏で、ギリシャ文化などの影響を受けた仏教美術で知られる。ここでは、人間が長い歴史の中で文化を作り、それを次の人間へ渡していくことが考えられる。
最後は「春の朝」で終わる。
この結末がいい。コペル君が突然、立派な人間になって終わるわけではない。人生の答えを教えられて終わるわけでもない。
むしろ、これからどう生きるかを自分で考え続けるところで終わる。
この本の確信は、たぶんそこにある。
「こう生きなさい」という答えを与えることではなく、自分が社会の中で何をしているのか、他人とどう結びついているのか、間違えたときにどうするのかを、自分自身で考え続けること。
1937年に発表された作品でありながら、貧困、いじめ、友情、勇気、学問、社会との関係という問題が今でも古くならないのは、そのためだろう。
「君たちはどう生きるか」という題名は、実は答えを求める質問ではない。
答えを出したあとではなく、答えを出せないまま生きていく人間に向けられた問いなのである。
そして最後まで読んで残るのは、「正しい生き方を教えてもらった」という感覚ではない。
自分で考えなければならない、という少し面倒な確信である。
個人的な感想
ただ、本書を「社会の中で自分の位置を理解して生きる本」とだけ読むと、少し違う気もする。社会の仕組みや人間同士のつながりを知ることは、自分を理解するための重要な手掛かりではある。しかし、それだけでは「自分の人生を生きる」ことにはならない。社会の一員としての自分を理解したうえで、それでも自分はどうするのかを決める必要があるからだ。むしろ社会科学的な見方を一度身につけ、それを超えたところで、自分自身の選択として生きる。その「それでも自分はどうするのか」という問いにこそ、本書の最後に残る個人の問題があるように思う。

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